大体の所は京極夏彦の「絡新婦の理」に書いてる事ですが。
古来より日本は「女系」の民族でした。
女から女に家を継ぐ、家を守る、村を守るのがならわしでした。
男はというと、出稼ぎや戦争に差し出すだけの、消耗品だったのです。
家を守る人を「刀自」と言いますが、これはみんな女でした。
守るとは何を守るかというと、伝統です。
多くは機織りの技術です。
考えたらわかるのですが、日本で一番偉い神様である「天照大御神」は女神であり、機織りの神様でもありました。
その古来伝統の技術を守るのが女の大切な役目であったのです。
その他は習わしであったり、子孫であったり。
「男から男へ家督を継ぐ」というのは侍の世界だけの話であり、考えたらわかりますが、侍というのは日本人口のわずか、どれくらいだろ?数パーセント??くらいの話でした。
日本は基本、農村の国ですから。
で、跡継ぎについてもそうで、侍の場合は一夫多妻なんかで、殿様の跡継ぎは誰になるかというのは大問題でした。
というか難問でした。
なぜかというと、生まれてきた子供の父親が誰なのか、調べる方法が無かったからです。
ところが農村では、生まれてくる子供の父親が誰だろうとどうでもよく、女の子の上から順番に大事に育てられ、機織りの伝統を継いで、伝統を守られてきたのでした。
これは生物学的にも農村のほうが効率良かったと思います。
男から男へ継ぐ家督、誰が親か誰が一番か分かりにくい文化、徳川家の歴史を見ても、家系図がめちゃめちゃになっており、その苦労がうかがえます。
一方、女系の農村としては、なにしろ、女のお腹の中から生まれてくる以上、それが女の子であれば、一家の跡継ぎはその子で間違いなかったからです。
むしろ父親は誰でも良くて、例えば昔話でも偉い殿様が村の女に手を出してなんてありますが、今では悲惨な事にみえますが、村からしたら「偉い殿様が現れた。ぜひ優秀な遺伝子が欲しい」とどんどん差し出されては遺伝子をもらっていたわけです。
その生まれたのが女の子であれば、殿様としても女の子には興味ないし、村としては「偉い人の遺伝子をもらった子」と大事に育てられたのだろうと想像つきます。
ではなぜ、今この日本ではややこしい「男尊女卑」というものが生まれたかというと、「男系」という風習を持つ西洋からの文化を真似した侍の文化が、明治になってから、ほぼ無理やり全国に広められたから、だそうです。
家を守る人は「刀自」と言われていたのに、なぜか男が継ぐという「主人」という漢字にすり替えられ、名字を付けられ、農村としてはほんとに迷惑だったと思います。男が主人、でも家や村としていちばん大事な「文化」である機織りの技術は女にしか継がれない。
男は外へ出て出稼ぎに行くし、そこで病気やら何やらで戻ってくるかわからない、死ぬかもしれない。
戦争になればもっと悲惨で、死ぬ確率がものすごく高い。
家の主がいなければ「家督」はどうするんだと。
なので、無理やり「男尊女卑」の文化を押し付けられた農村で大混乱が起こったのは想像つきます。
みなさん、どうですか?
今、Metooだの女権だの女性の社会進出だの騒がれてますが。
実は日本の本当の文化は「女系民族」だった
と言われたらどう思うでしょう?
僕もこの辺の話を聞いて、ええええと思いましたね。
もっとこの話が知りたかったら、ぜひ京極夏彦の「絡新婦の理」を読んでみてください。
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